ガラパンズタオのストーカー日誌

【一生懸命自分の夢に向かって努力を続ければ。。。みんなが助けてくれる。】秋葉によせて!!

少し、バスキング紀行は、お休み。

大森の風に吹かれて(エレックレコードピピ&コットのリーダー金谷君のお店)で

あったライブ。

高山厳さんのお話しします。ななんと高山さんのCDを買ったら

アップフロントエージェンシーの名前が。

実はこの会社の社長さんはエレックの社長さん萩原克己さんと同じ

エレックの戦士、山崎さんです。

往年のエレックフアンだったら知ってらっしゃるでしょうけど、

ケメのマネージャーやさしさいっぱいの、山ちゃんです。

 みんなあの声覚えてますか。。。。。?

 じゃなくて、僕は高山厳さんのまじめな態度に、すすごいと思いました。

「一生懸命自分の夢に向かって努力を続ければ。。。

みんなが応援してくれる!」この言葉です。

誰かが見てくれてるんです。人間として、前向きに、そしてみんなが幸せに、

そして喜んでくれる

ように、努力し続ければ皆が助けてくれるんです。

それはその人もそうしたいからです。

一生懸命がんばっている人は、その事に対してリーダーなんです。

たとえ、それが赤ちゃんであ

っても、拍手を送り、涙をながさんばかりに僕達は。。。。応援するのです。

 僕達は、そうなんです。。。。

心の中でつながっているのです。。。。。。

  

中島田鶴雄2008.6.15

【イギリスバスキング。初ストリート!!】

前回、又又、2007年と書きましたけど。2008年でした。そして、日付は11月

27日火曜エクセターに着いた日です。すみません。

気がついたら、、、通り過ぎていた。

グローブバックパッカーは、レンガ造りの家でしかもつながっていた。旗もなびかせて

いた。

戻ってみれば、歩いてきた道が途中からグローブと言う、通りにかわっていたのだ。

なあんだ!と思った。

呼び鈴を押し入ってみると、ソファーに若者が座っていた。フランス人でシルバという

名前。イギリスに働きにきている。って事がわかった。

店のオーナーはキャロライン、目がブルーで金髪。いかにもイギリス人だった。(どこ

がでしょう?)

宿代を交渉した!

宿代は1週間70ポンドにしてくれた。1日10ポンド2400円ぐらいだ。助かった。

なんとかやってける。

寝る場所につれていってくれた。かいこベッド、2段ベッドだ。窓からは今来た道と、

田園風景が見えた。

3階から下りる時、階段がきしきしなった。古い昔ながらの手すりがついた階段だから。

シルバに別れを告げ、初ストリート。

重い荷物もないし、ギターだけ。うきうき!!だ。

カシードラルの反対側。大きなクリスマスツリーが飾ってある。。。

やってるやってる。歌もうまい。カラオケバックにトランペット。通りすがりの人が近づ

いていってお金をチャリンチャリン入れる。トランペットのケースにだけど、まるで、

音がするみたいだった。スイングしてる。。

このお爺ちゃん毎日来るのかな!!

意を決して。。

20メートルほど離れたところで。。

ストリート。。。

初。初なのだ。

ギターのソフトケースを開いてっと(ハードだと重い。運を天にまかせてバージンアト

ランティックの荷物室、、、大丈夫だった!)

ギターだして。

口に音叉くわえて。

チューニング。

まだ明るい。。

みんなが見てる。

歌いだした。。。。。

いつの間にか一人の青年が立っていた。

香港からだ。

ヒロと言う名前。

エクセターカレッジに留学してるんだって。

彼は日本語がペラペラだった、

お爺ちゃんができたから。。。。。

続きは次回ガラパンズタオで。

中島田鶴雄 2008.5.6

【イギリスバスキング。夢が実現した!!】

2007年11月27日(水曜)エクセターについた。晴れた!救われた。。。

さあ、宿を探さなければ。まずは駅からエクセターの中心、ハイストリート、バスだ。

何とか行き当たりばったり、バスに乗った。言われるままにお金を払った。

ハイストリートは、その時も10年前と同じだった。ちと違うのは、カシードラル側に、

アケードができていた。ガイドブックを見ながら尋ねたりして、ユースホステル方向に

行くバスを教えてもらった。

ようやく見つけて、乗った。乗ってからバスの運転手さんに聞くと、なんと運転手さん

は、乗ってる人達全員に、ユースホステル?_誰か知らないか!と聞いてくれた。

いやあ、ヒースロー空港でも、地下通路で鉄道の駅を聞いた時も、何処から来たの?

とか。地下鉄で行くんだよ!とか親切に教えてくれた。

結局、ユースの近くに住んでいるおじいさんが、着いたら連れて行ってくれる事になっ

た。そうか、ストリートやるんですか!見に行ってあげますね!といってくれて、近くま

でつれてってくれて別れた。

ぎえ〜!ユースホステルは、ななんと、クローズ。

そうだ、イギリスのユースは、休暇をとりながら動かしているんだ。思い出した。。。

管理してるお兄ちゃんが、困りきってる僕をみて、教えてくれた。

教えてくれたのは、一番近くにあるユースホステルだ。と思った。そしたら、バックパ

ッカーといって、名前のとおり、リュックを背負ってる人の為の安宿。という事が後で、

解った。

そこから、又街に戻る事になった。街の中心から500メートルぐらいの所らしい。ギ

ターを背負って、バックを抱えて、又てくてくと街に向ってエクセターリバーを戻る事

になった。そう、宿が見つかっただけでも、僕にとっては一段階クリアーしたわけだ。。

   途中熱かった。着ているジャンバーを脱いだ。いつものポプコンのコートも脱いだ。

バックが重かった。。。

でも、何度も、ここはイギリスだ、エクセターだ。何度も心に、つぶやいた。定年した

ら何回となく来る。そう心にと決めていた。そう心に決めていた、エクセターだ。

実現した!!何度も感激した。平気だった。熱かろうと寒かろうと。実現したのだ。

それもストリート。

思いつきだった。皆の前で歌を歌えば、曲は作らなければならなくなるだろうし、

皆が気に入らなければだめだし、人前で歌うのだから勉強になるだろうし。ひとり

でも聴いてくれっればそれで良かった。とってもうれしかった。

ひたすら、歩いた。エクセターに向って歩いた。。。。。

続きは次回ガラパンズタオで。。。

中島田鶴雄 2008.4.20

ひがみブルースの尾崎

中野で、よくあった。
彼はカセットをてにしてた。おれの作ったカセット、って言ってた。矢沢拓郎ってそのカセットにはかいてあった。

彼は真剣だった。自分に真剣だった。

彼の結婚式は、太田区民会館だった。昔のままの太田区民会館だった。

仲人はばんばひろふみ夫妻だった。開場には尾崎の知人となぎらけんいちもいた。わかれるきれるを、なぎらけんいちがれんぱつしていたのを思い出す。

しかし、尾崎は、1っ曲も彼らに歌わせなかった。俺にも。。

彼がずっと歌ってた.お開きは、会館館長のあいさつだった。終らなかったからだ。。

 

 

彼を、見れるのは、聴ける、のは、今、CDだけだ。。

彼は僕らの前に姿を見せない。。

彼の気持は唯一ひがみブルースの中からしか感じられない。

でも生き生きと、彼が伝わってくる。

だからあ、だからあ、尾崎君〜、僕の前にもう一度あらわれて。。。。

あのカセット捨てちゃったし。。。

 

中島田鶴雄 2008.4.12

 

イギリスバスキング。念願のイギリスの地

2007年11月27日火曜(前回26日を月曜じゃなくて水曜、2007年を2006年と書きました。御免なさい。)

 

ロンドンパディントンステーションから西南地方デボン州のエクセター(昔、1年間お世話になった城壁で囲まれた歴史深い都市。)セントデービッドステーション。。

 

切符代81.5ポンドななな〜に!2万円。。高い〜〜〜〜。

 

コーラ150m l 1.25ポンド約300円ギェ〜どうしよう。。

 

宿泊代1泊これじゃあ4000円越える。これから1ヶ月ああ。。

 

外は雨だあ。。

 

朝の8:00だというのに車窓から見える景色は、、真っ暗。。。。。。。

 

 

昨日ユースホステルで知り合ったScottとは、今朝別れた。

 

彼は、アメリカの南部から来た。イタリアに姉が住んでるんでその帰りにロンドンに立ち寄ったと。昨日の夜、パブで彼と飲んだ。彼との話も、もっぱらポンドは、高い。その話で持ちきりだった。

 

パブの壁には、お勧めメニュー。キッシュ、8ポンド。。

 

8ポンド、2000円!!

 

何?バイト2時間分だあ!

 

彼との会話は、言葉はあまり通じないけど、表情でわかるよなって!

 

タトゥーは、信念のあかしだって(僕はまだだめだ)。とりとめもなく続いた。おごったりおごられたり、ビールだけで、3000円ぐらい使った。そうその前に、彼と夜のバッキンガム宮殿に行くと言うんで、行ってしまった。片道4ポンド、1000円。ロンドン市内どこでもらしいが、1000円???

 

トラベラーズチエックあわせても、このペースでお金がでていったら。。。

 

帰りの飛行機12月24日ヒースローまで、後1ヶ月。。

 

だめだ。だめだ。。。。。

 

いや。。。

 

1日の食費10ポンドを5ポンドにすれば。。。。。うん。。。。。。。。。。

 

『やれる!なんとかやれる!!!』

 

続きは次回ガラパンで。。。

 

中島田鶴雄 2008.4.6

 

 

イギリスバスキング。日本脱出!

2006年11月26日水曜

 

久々の外国旅行。江戸川を超えたあたりから気持がたかぶってきた。明日はイギリス。

 

青砥は、シンフォニーヒルズ2008年10月4日に『立石ぴいこ音楽祭』友達と、もう5年か!!!言いだしっぺ、なんだ。。僕は何も出来てない、、でも繋がったよね!

 

荒川をすぎた。千葉県に入った。11:40離陸フライトだ。今から約12時間ロンドンヒースロー。。

 

ビールが、うまい!!レーベンステラ。なんでこんなにうまいの?日本と同じラガーという種類だのに、うまみが独特の缶ビールだよ!!日本では、日本酒の種類は一杯。
でもビールはイギリス、ヨーロッパ。

 

だめだ。酔ってきた!

 

なな、何と!今日の機内食は、【カツ丼!!】他にベジタリアン系も。いったいなに?
このメニューは、繰り返すよ!!カツ丼!!

 

絶対、冗談だ、英国バージンアトランティック航空がカツ丼、だなんて!!帆帆子ラッシュだ。怖〜〜い!!(浅見帆帆子;やっぱりこれで運がよくなった!廣済堂)

 

デザートは、イギリス食ににつき物のキッシュ。チョコキッシュの固いやつの底にベリーの
固まったのがしいてある。緑に羊が放たれ、石垣に絡まるベリーのすっぱさが浮かんで来るのは、僕だけ。。。

 

同じく、26日水曜14:00(あれから11時間)

 

イミグレーションのおじさんおばさんは、なんと聞くだろう、多分「何しに来た?」と聞くだろう。そうしたら、僕は、「イギリスの人が大事にする人間と自然、コミュニケーションを学びにきた。」と言う。。。

 

続きは、次回のガラパンで

 

中島田鶴雄 2008.3.24

 

イギリスバスキング。イントロダクション

イギリスバスキング。エレックの歴史が、僕にくれた物は大きい。何物にも動じない。自分を信じる。自分で開拓する。人の勢いを大切にする。全ての人にチャンスは平等だ。お兄ちゃんは弟の面倒見る。。。

 

別に、美化するつもりはない。感じたままを書いただけだ。

 

僕は、今ストリートに燃えている。それは、多分そのエレックの昇天した意識の現われだと思う。別にこじつけるつもりもない。

 

イギリスでのそれは、単に思い付きだった。

 

イギリスはビートルズを生んだ。それは何か背景があるのかもしれない。と体で思った。僕が28の時1975年8月。それよりさかのぼる事12年確かそのくらいだ。糸居五郎がオールナイト日本で驚異的なグループ、ビートルズを流しちゃったのは。。

 

コーラスが前面に出るグループなんて、その頃なかった。それだけで度肝をぬかれた。

 

次々と新風を巻き起こした。アルバムを出すたびに変幻自在だった。ある時はバロック音楽になり、ある時はインド音楽になり。アニメの世界にもつれていってくれた。フランス語が新しかった。コマーシャル風なグループの映像は新鮮だった。その頃まで武道館コンサートは僕の記憶にはなかった。なんでビルの上でやんなきゃなんないの?なんで?なんで???

 

その土壌は、いったいどこなのか、なぜなのか?実は、28の時はどこで?と言う事だけが、僕の疑問であり、その場所に行ってみたい。そこで生活をしてみたい。彼らと同じ様にコンサートをその地でしてみたい。その彼らの国の人達に、受けたい。それだけだった。

 

なぜなのか?は疑問にも思はなかったし、だから、追求もしなかった。

 

前回2007年11月26日〜12月24日まで、そして今回2008年2月11日〜3月3日までストリートを敢行した理由は、

 

【イギリスで、なぜビートルズが生まれたか?】

 

実は、もうひとこと話す。今回の最初のキッカケはそれではなかった、実は。。
同じ田無で毎日敢行したストリートを僕の大好きな行きなれた歴史のある、明治、大正の匂いのするイギリスで試したかった。

 

【イギリスで、なぜ?】は、結果的に解った事だ。。。。。
続きは次回ガラパンで。。。

 

中島田鶴雄 2008.3.19

語句の説明
バスキング;街頭で歌を歌ったり芸をしたりする事を言う。

 

生田敬太郎ライブ

敬太郎さんのライブを語るとき思い出すのは、一人の友達だ。彼は、生田さんの話を出すたびに、異常に興奮する。絶対、生田さんのライブがある時は、教えて下さいね。っと彼が、東京に上京した時、忘れもしない、レコードでしか聴けなかった曲をまじかで聞いたそうだ。その時以来、敬太郎さんのステージを見ていないのだと。だから、中島さん、その時は、絶対呼んで下さい。僕は、それを思い出した。僕がまだ会社勤めをしている時だ。彼は僕の会社のお得意先の会社の方だ。でも生田さんの話をする時は、立場が逆転する。中島様だ。おまけに、生田さんは、エレックで、確かに、彼は、タレントでいったら大先輩、あちらはレコードも数出してる。僕は、1曲だけ。おまけに、彼のバックも勤めたことがある、キーボードで。しかしへただものだから、ドラムのおじさん(実はエレックの今の社長;萩原氏)からコンサートの時締め出しをくった。楽屋に鍵をかけられた。

 

が!が!だ。これが、残念ながら生田さんは、僕に逆らえない事がある。僕にとってはどうでもよい事なんだが、大学だ。大学の先輩なのだ。私めは!それもお隣の学科にいた。

 

ライブに僕がいったら、生田さんは、僕を『先輩!』と呼ぶ。おまけに、さるプロデューサーも僕のその友達にわたくしプロデューサーの何がしです。と名刺を差し出す。ライブの終わりには、ふだんあまりやらない、【この暗い時期にも】を友達がリクエストするもんでやっちゃう。サインはするは、僕の事を、先輩、先輩と呼ぶは。僕は、その友達、いや友達じゃなかった。お得意先の偉い方に、まあ喜ばれるは、喜ばれるは。。。いや、敬太郎様様だ。。。

 

ライブはどうかって?悪いわけないじゃない!

 

生田敬太郎!最高!最高!!最高でした!!!

中島田鶴雄 2008.3.10

竜とかおる

亡き澤田俊吾さんに鏡を買いに行ってくれと、頼まれたのをお思いだす。写真撮りは、新宿御苑だった。エレックに入って間もなく竜とかおるのLP【ひとつのめぐり逢い】のアシスタントディレクターになっていた。それは、今考えると名前だけだ、ジャズギターリストの澤田俊吾さんのアシスタントにもなりきれては、いなかった。竜さんや、かおるさんに迷惑もかけたろう。

 

夢の様な毎日だったから。アレンジャーの小川さん達と食事にいって、中島には、肉なし。だめ!っと澤田さんに、お肉は食べさせてもらえなかった。覚えがある。それぐらい可愛がってもらった。

 

かおるさんは、その後ヒット曲をだした。レイラや、ラブ・イズ・オーバー他たくさんの曲を。そして、竜さんと作ったこの二人の世界は、今でも不滅だ。売れるとか売れないとかをもう越えてしまった。僕らの心の中には永遠のメロディーとして残った。

 

ライブハウス【風にふかれて】で竜さんにあった。なつかしさでいっぱいだった。

 

ひょっとしたら、竜さんだけでなく、薫さんも僕らの前に顔を出してくれるかもしれない。

 

僕らはなつかしさだけでなく、期待と不安の入り混じった目で、ヒーローを待っているのかもしれない。それは、僕らのこころから、誰も消せない。。。

 

中島田鶴雄 2008.3.6

エレックを育ててくれたファンの人達

忘れてはいけません。決して忘れてはなりません。そうそれでです。誰が、何が大事か!海援隊違う!ケメ違う!みんなです!みんながいたからこそ、エレックがあったのです。みんなの事務所はエレックの2階にあったのです。宣伝部隊は、いつも新宿御苑のビルの前の道路に集結していたのです。情報はそこから全国の皆に発信されたのです。三愛のおばちゃんの所にあつまって、おばちゃんから情報をもらったりもしたんです。たまにはハンバーグ屋さんにもいったし、喫茶店にも入っちゃったり、ずーとるびがでた時は、何っ?、と思ったけど、仲間に入れてあげました。山田君生意気に見えたけど、みんなと良く話したし、進んでみんなに入ってきたから。。。。。

 

今なつかしさだけだけではありません、パワーです。すみません僕が書くとこんな表現しか出来なくて、パワーです。僕らの生きていく心のささえになってしまっています。その時の出来事を思い出す自分は、その時のまぎれもない少女です、その時、自分がいだいていた情熱を、ふるいたたせる自分です。素直に自分によみがえらせる事が出来るあまりに育った、はっきりいうとスゴイ自分です。誰にも気兼ねなんかしない、といって我儘や自分勝手ではありません。それが自然でそれがすばらしい、事をしっている自分です。

 

今始まったばかりです。誰も止めれない、心の中のそれを誰も止めることはできません。

心の中の友達がしょげていたら、元気もつけてあげられます。実際に応援もしてあげられます。エレックのビルの前で待っていた少女の優しい気持は、そのままでも、やる時はやる。押しも押されもしないお母さんです。すみません、自分の世界に入ってしまいました。

 

みんながつくる世界、音楽の世界。。

 

いったいどんな世界なのか、ガラパンズタオも、見てみたい!!!!

 

中島田鶴雄 2008.3.3

【海援隊】

ちょっと前になるけど海援隊の千葉さんのライブを聴きに行った。千葉さんのライブを見に行くのは、初めてだった。2ステージ、フルでワンマンライブ。見ごたえあった。

 

しばらくしてサイモンとガーファンクルのDVDを手に入れた。明日にかける橋をどんな風に歌っているのか興味があったから。。。

 

実際はドラマだった。そのDVDは、なぜ二人が離れて行ったか。それを物語ってるいる様な気がした。

 

両方の持ち味、音楽性が生かされ、叉強制され、曲となり、ヒットし、そして、お互いの音楽性の違いに気付き耐えられなくなり、優しさに飢え女性にそれを発見し、有頂天になり、すべてはうまくいくと思ったが、破局を向かえ、互いの違いゆえに。そして、同じ部分は認め合えず、決して元へは戻れない。

 

 

 

「ひとりじゃできないよ!」ライブの後で海援隊の時のギターのリフなんかも聞かせて欲しいと!リクエストした(そんな質問も質問)。

 

皆が「千葉さん良かったですよ!」っていう言葉に、千葉さんは、何も返さなかった。。

 

テレビで新作の金八先生が始まり、武田鉄也さん以外は新しいタレントで始まっている。最初の頃のタレントさんは、年月がたち、押しも押されもされぬ大女優。

 

故郷いまだ忘れがたくの最初のギターは、あれでないと始まらない。

 

どらえもんは、【大山のぶよ】と未だにこだわり続ける僕らおっさん。

 

そして、僕らは、何ゆえ音楽を、そしてステージを続けているのか。

 

その答えは、次の世代の人しか知らない。。。。

 

だから続けとるんじゃ。ビデオみたいに先送りできたらやんねえよ!!!

 

僕らの頭の中にはイメージがある。。

 

海援隊。。。母に捧げるバラードの千葉さん中牟田さん。そして髪をかきあげる武田さん。3人の笑い顔。。すべてが其処にいるかのように。。

 

中島田鶴雄 2008.2.6

 

唄の市ふれあい仲間のコンサート

新宿JPスタジオとヤマハ渋谷店 千葉のマザー牧場。菜の花畑を下りた底にステージがあった。ふだんは、ぬいぐるみのガチャピンと子供達が、ステージで遊ぶんだろうな。。

 

ジンギスカンなべで焼く羊の肉は、ジュージュー、音からしておいしかった。

 

北炭生さんや、長嶋さん、龍と薫さんたちもいたと思う。司会は高山淳さん。そう、よしこちゃんもいてくれたと思う。キャンペーンとか宣伝だとか、そういう意識は、まるで僕にはなく、合宿、林間学校を楽しんでた。

 

唄の市ふれあい仲間コンサートは、エレックで、泉谷さんや、海援隊、ケメ達がヒットしていく中で、予備軍たちを育てるイベントだった。オレンジ400という商品だったと思うんだけど、相模原のスーパーの店頭、エレックのボンゴに機材を皆で積み込んで出発し、ポッコリはいて(ポッコリはやってた)香水つけて(きもち悪る)ふれあい仲間の垂れ幕張って、すべて手づくりだった。今でもキャンペーンガールのお母さん(ちょっと年だった..)覚えてます。

 

今こうして考えると、店頭演奏キャンペーンする様にスポンサー見つけてくる。スゴイ!。どなたがマネージャーだったんだか?

 

始終「今度何放送だから!」とか言ったのにキャンセルばかり。みんなからカリマヤとか呼ばれてたマネージャーさんもいた。でも、僕なんかロクスッポ話も出来ないのに茨城放送のインタビューをいれてくれたり、でっかい一匹なりの鶏の丸揚げ食わしてくれたり大好きだった。もう亡くなられたそうだ。

 

ふれあい仲間に入ってない人もいた。チャーとか、金子マリとか、山田君。。そして社員の人たち皆。。レコーディングの時は、借り出された。ライブ録音。。。『拍手足んないって!みんな〜よんでるぞ〜!!』みんな、あわてて2階のスタジオにいったもんだ。

 

チャー、知ってるかもしれないけど、まりちゃんずの曲に入ってる、本当。

 

チャー君のあのリフがなきゃあ尾崎んちのばばあは、おもしろくない。ま、あたりまえといえばあたりまえ。。

 

皆が出れた。うれてようとうれていまいと、参加できた。ほかのレコード会社にある??カツ丼が、一世を風靡した母に捧げるバラードと同じレコードに入ってる。なんて、僕のともだちが、いみじくも言ってた。

 

【余裕があるって事なんだよ!】。。。。。。。。。。。。これこそ、お、ん、が、く。。。

 

中島田鶴雄 2008.1.31

 

写真は、新宿JPスタジオ

 

なぎらけんいちさんのライブ

なぎらけんいちさんのライブCDウォークマン売ってたよ安かった!!なにいってんのお父さん??

 

こんな会話も、もう聞かれなくなった。

 

。。アイポット。。同じ事!

 

テレビでは、お笑いの方がめじろ押し。毎日出てらっしゃるタレントさんも大変。ネタもつきてしまうかも。

 

朝早くから遅くまで、毎日会社の往復を強いられるサラリーマン。倒産、パッシングの話題が身につまされる管理者の方々。つい、家庭の問題は家のにまかせてる。

 

とつぶやいてしまうほど本末転倒に、日本社会は陥ってしまった。

なぎらさんが、あるイベントに出演した時、白いスーツの方から、是非うちの方にも、と誘いを受けたと。もうこの時点で開場は、さあ、始まるぞ!と期待でいっぱい。。。。小指の思い出を歌った時、、やったああ!!と、なぎらさんならではの圧巻。

 

それにひきかえ、ドラムがリズムに歌いギターが金切り声をあげ、なぎらさんがぐっと腰を落とし気分は最高潮。が、会場の雰囲気は僕の予想と180度違っていた。う〜ん?みんな自分を押えてるのかもしれない。。。


確かに、回りを気にしないと生きてはいけないけど、のりが演者と共鳴しあったら、そこには、ここに文章では書けない自体がおこる。って事をみんな知ってる。。

 

日本人全員が、音楽の楽しさとパワーを思い出して、それを梃にがんばっていければ良いなあ!とまた、僕はひとり、夢の世界に入ってゆくのでした。

 

2008.1.28 中島 田鶴雄

 

君は否定したいか?
【金谷あつし(もとエレックタレントピピ&コット)の店】

金谷あつし(もとエレックタレントピピ&コット)の店 夢!!確かにガラパンズタオとしては、まさにそれは、皆に夢だと誹謗中傷 されてもしよがない。それで皆様の様に食っているるわけじゃあないから。

 

タダ、エレックだって誰が復活すると思った?『アーティストが中心の会社、 続くわけない.』とか萩原克己氏描く【エレックレコードの歴史U】を読んで、 感想をのべるやからがいるわけだ。

 

金谷あつし(もとエレックタレントピピ&コット)の店人間って何って、その人にいってあげたい。あなた、本当に今やりたい、生 きたい人生あゆんでの?ほんと?

 

ガラパンさん、現実は違うのよ!って。。。

 

もしそれなら、はっきりいって、問題をどれだけ抱えているか想像もつかな いエレックをなぜ復活させたか、なぜできたか!だよ。

 

金谷あつし(もとエレックタレントピピ&コット)の店金谷氏が著作権、駅のそば予算、経験もなしになぜできたか!でしょ。

 

今金谷氏はいう【このお店にきてくれて、昔エレックの音楽戦士がやってきたように自由に自分の信じている事をうたって、そしてみんなが共感できる事 があるのなら、僕も応援する是非。何を唄っても良いそれが正しいと思うなら。】これは、あなた達の言う夢、それっていったい何、それでそれで、食えるのか?ってね。。。。。

 

確かに経営を考えたら世の中の流れを見たら、人の意見を鵜呑みにしたら、できないことだらけだ。世の中の常識では考えられない、考え付かない。。。

 

金谷氏のかけている夢それは自分自身の利益ではないお店のそれではではない、お店に来てくれる、まさに人たちの喜びだ、夢だ。明日にふるいたつ、ほとばしるエネルギーだ。

 

お店にきたら、静かに語る金谷氏の熱い物語を聞くと良い。そしてあなたは変わるあなた自身がのぞめば。。。。。。。。。【まぼろしのエレックは不滅だ】

 

2008.1.21 中島 田鶴雄


 


【ケメのトリビュート】  風に吹かれて

ケメは永遠の少年だった。〜朝日が窓からさしこんで〜

 

ケメのいないライブ、だのにみんなのこのワクワク感、いったい何だろう、何が?

 

ステージにみんなが上り、ケメの曲、、、1曲1曲が歌われていく内に、僕にはわかってきた。。

 

ほら、ケメの曲ゼ〜ンブ載ってるでしょ、コピーしても良いわよ。tOSHIさんって?マキマキさん、「君が黒猫さん!」。サイトの仲間、そうか!何が?って、C.P.のサイトなんです。

 

昨日もその前の日もずっと、ケメの話題で、そして今日の日の準備や。練習で大変だったんです。楽器やさんが「チューニングメーターなんてそんなもんです.」低音の感知わるいんだって。ギターが多少うまくいかなくても2番の歌詞忘れちゃっても。時代屋だんぞうさんとなのる髭の濃いおじさんが唄ってもみんなの心の中はケメのイメージでいっぱい。

 

デュオをくんでた金谷君(ここ【風に吹かれて】のオーナー)が、ケメから預かった伝言と新曲冬将軍をステージで聞かせ時は、ステージにケメがいてお話してくれている気に全員がなっていた。

 

メリーゴーランド、練習も中途半端。でもケメの唄は違ってた。みんなの心の中の優しさがそのまま歌になった。多分歌っていて自分に涙した人が沢山いたはずだ。

 

皆の心の中のケメは、体こそ少年だけど大きく、大きく育ってた。

 

2008.1.6 中島 田鶴雄

 

 

ガラパンズタオ
本名:中島 田鶴雄

1947年10月14日生まれ
1974年、エレックレコードよりカツ丼でデビュー。
趣味は、キャンプと釣り、

イギリスで路上ライブをする事。
現在、新生エレックのストーカーとして

鋭意活動中。