丸山圭子
エレック時代は修行の時
私にとってエレック時代は、ある意味で修行の時でした。
高校3年で、ニッポン放送の「ビバ唄の市」で入賞してスカウトされたものの、持ち曲といえば入賞局の「しまふくろうの森」くらいで、アルバムを作るようなキャパシティは全くありませんでした。でも、その初めて作ったに近い楽曲が評判になり、夢にも思わなかったプロへの道を進む事になったので、これこそ運命と迷わず信じた訳です。
そんな甘い考えが、その後予想もつかなかった苦労を生んだのは、大人になった今なら容易にわかります。
18歳の私は、周りのスタッフの賛辞の言葉に有頂天になり、夢に走り出し、そのエネルギーで「そっと私は」のアルバムを作り上げました。
同時に、ケメ(佐藤公彦)の前座で、全国数十ヵ所のホールツアーが始まり、ギターもそこそこ、ボイストレーニングも受けていない高校を出たばかりの女の子が、いきなり1000人クラスのホールで歌い出した訳です。
あがり症の上、素人丸出しだから、ステージがどんな出来映えだったかは、ご想像にお任せします。今でも恥ずかしくなる思いです。
エレックでは、アーティストが会社によく出入りしていて、アーティストルーム、レコーディングスタジオ、ラジオ制作スタジオ、リハーサルルームまでありました。
そんな中で音どりする時は、例えばギターを持って歩いていたCharに頼んだり、作詞に悩むと伊藤薫と話したり、コーラスはたまたま遊びに来ていたタイム5に歌って貰ったりと、とにかく今をときめくアーティストやミュージシャンの宝庫でした。
ステージのみならず日常でさえも、いつも刺激的で、チカラのある集団で・・・
底知れない才能やパワーのアーティスト、そしてスタッフに巡り会えた事は、今も歌い続ける私のパワーの原点だと思います。
そんな中で、もまれながら、自分のオリジナリティーを探し求めて辿り着いたのが「どうぞこのまま」だった事は、やはり間違いありません。
丸山圭子
